五月病

死んでしまったほうが楽なのかもなと寝ぼけた頭で考えた。人間関係のこと大学のこと。すべての悩みがなくなってしまえばいいのにと思う。なくなってしまえばもう彼女を苛つかせることもなくなるし、大学のことを憂う必要もなくなる。大学の授業は何一つとして面白い授業がない。昼ごはんも食べるとなんだか気持ち悪くなってしまうし、友達も心の底から思っていることを話したことはない。連休明けの行きの電車でみんな辛気臭い顔をしているのを見て、自分だけじゃないと少し安心したけれど授業を受けているうちに死にたい気持ちが強くなってきている。先生の話を全く聞かずにこの文章を書いている自分にも嫌気がさす。

 

 

オゴリ

最近、贅沢をしすぎている気がする。

金銭的に贅沢をしすぎているわけではない。

 

自分の中の、あるルーティーンのうちの、「普通」が変わりだした。

以前までなかったモノができ、そのモノがなかった状態では耐えられなくなってきた。

 

子供のころは人形で遊んでいるだけで一日が過ぎていたものだったが、

今では両手に収まらない量のモノに囲まれて一日をやりくりしている。そんな感じ。

 

だからこそ心の驕りがよく見え隠れするようになってしまったのだと思う。

 

いつもここにあるのだから今日もそれはここにあって、何も疎通を行わなくてもそれはここに居てくれるモノだと思い込んでいた。

 

「あなた」の事情なんてお構いなしにここに居てくれると思い込んでいる。そんな贅沢な「普通」に慣れて贅沢が普通になったときにそれは自分になくてはならない存在へとなり、感謝を忘れる。

 

なんの疎通もしなかったクセに今日は居なかったことに心底落ち込んでしまっている自分に嫌気がさしている。そのくせあなたからの気持ちに疑いを被せ、自分を守るのだ。

 

自分勝手が過ぎやしないか。

 

でもあなたはきっと私が電車に飛び込んでも、あの高い高いビルから飛び降りても泣いてくれるんだろう。それでも心配になってしまう。

 

また今日も考えすぎて壊れてしまう前に枕に就くこととする。